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わんねす・わーるど
(ケイネット・ジャパン)
fianafin@gmail.com
*お問い合わせはメールにて
お願い致します。



Our Vision
目的とヴィジョン
当サイトの最初の紹介文に、“「わんねす・わーるど」は、一人一人が元々持っている“エネルギーに満ちた状態”を取り戻すお手伝いをしていきたいと考えております”と書いています。これについて、もう少し補足したいと思います。

そもそも人はこの世に生れて以降、主に言葉を習得しながら、「分節化」というプロセスを通じて、周囲の世界を認識しています。「分節化」とは、例えば、初めて目にする対象に名前を与えたり、教えてもらうことで、その対象を認識する行為です。その対象が母親であれば、「お母さん」や「ママ」と特定して、他の人やモノとは区別することです。誰もがこの「分節化」という作業を繰り返して、この世界を認識できるようになっていきます。そのため、人が思考力を養ったり、社会生活を営む上で、この「分節化」という作業はとても重要で不可欠なことですが、日頃、私たちは「分節化」に依存して自らの世界観を作り上げている現実をほとんど自覚することなく、当然のようにそれを受け入れています。

「分節化」は、とても便利な行為で、人が有する貴重な能力とも言えるのですが、視点を変えると、「限界のある」行為であるとともに、「マイナス面を生み出す」行為としても捉えることができます。あらゆる物を特定するために、細かく名称や記号を割り当てて区別すると、言葉や記号が氾濫して、逆に認識が難しくなります。厳密に区別するよりも、曖昧な表現でグループ化する方が楽で、新語が生まれつつも、死語が生れる状況が発生します。
また、そもそも区別することが不可能な対象に対して、区別を試みようとする人の思考性癖を促がしてしまう傾向があります。例えば、「あの人は良い人だ、いや悪い人だ」とか、「これは善で、あれは悪だ」といった思考に典型的です。自分が「良い」や「善」に分類されれば、安心しますが、必ずしもそのようなことはありませんね。言葉の使い方を誤ったり、ちょっとした誤解で、対立を生み出してしまうこともあります。つまり、「分節化」は、自分と他人を「区別する」ことに繋がったリ、「比較する」行為を誘発してしまう面も併せ持っています。区別や比較の対象が、感情を持たないモノであれば、それほど問題は生じないかもしれませんが、感情を持つ人間が対象となると、このような習慣的な思考は弊害を生みがちです。

「分節化」は二元論的な思考の原点で、他者と自分を明確に区別したり、比較をも促がしがちです。そのような比較の中で、自分は平均的な人々よりも不幸であるといった判断が生まれ、人は分離感や孤独感などに悩まされたりします。このように、二元論的な区別や比較から判断を行うという習慣自体、物事を効率的に学習するような目的がある場合を除いて、実は、不必要なストレスの原因を生み出してしまいます。人は判断する習慣から解放されることで、もっと自然な状態で生活できるようになるというのが、ワンネスユニバーシティの活動を通して私が学んだことであり、経験したことでもあります。

私たちの多くは、既に「分節化」する行為を無意識の思考及び行動のパターンとして持っています。
面倒なのは、このパターン化された「判断する習慣」が、あまりにも当たり前になりすぎていて、既に私たちが便利な道具として使いこなせる状態になく、逆に私たちを使って世界を作っているということです。

大人になるにつれ、私たちは「判断する習慣」の虜になり、自分のハートを忘れ、本当の自分が分からないという不自然な状態に簡単に慣れてしまうように、この社会自体が組み立てられているとも言えるでしょう。

そこでひとまず、このサイトをお読みいただいている皆さんにお伝えしたいのは、“「わんねす・わーるど」で意図しているのは、ごく普通に、日常の中で、不自然さから解放された状態に向かってもらえるようにすること”です。

もっと言うと、何か神秘的な体験をしましょうとか、凄い誰かになりましょうということではなく、「私はより一層私に」、「あなたはより一層あなたに」なって、最終的には「私は完全に私のまま」で、「あなたは完全にあなたのまま」でいて、更にこの世の中で平和でいましょうというお話です。

なぜなら、そこから幸せが始まるからです。

なので基本的に、「わんねす・わーるど」のセッションを受けても、特別な能力がついたりはしませんし、後光がさすような有り難い誰かにはなりません。ここでみなさんに提供したいのは、必ずしも分かり易い何かではなく、私たちそれぞれの「内側への旅」であり、「発見の旅」です。

ありのままで全ての人達が幸せに生きていければ、その社会に苦しみはないでしょう。でも、現実には殆どの人が、「ありのままで良い筈がない」という大前提で生きているか、「ありのままで良い筈なのだけど、この社会では許されない故に苦しんでいる」という状況ではないでしょうか。

更に具合の悪いことには、「ありのままの自分」というモノが分からなくなっている人が、意外と多いということです。アタマとハートがばらばらで、自分の欲しいモノも分からなくなっているような状況です。だから、自由を与えられていても、なかなか自分にとっての本当の幸せの為には生きられません。自由と調和がかみ合わないときというのは、大体こんな点が浮き彫りになっている状況のように見えます。

そこで「わんねす・わーるど」では、「私たちが幸せに生きるために最初に必要なことは、自分が何を欲し、何が好きで、どうしたら幸せなのかを本当に知ることであり、一瞬一瞬変化する自分の状況に、常に適切に対応すること」だと考え、その為のツールとしてヒーリングやワンネスディクシャ、瞑想といったものを状況に応じて使い分けています。 そのような訳で、確かに瞑想などもするのですが、それによって得ていくものは、より「普通の日常」と呼ばれるようなものである可能性が非常に高いとお考えください。



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